ブルータスの「美しい日本語」

ブルータス(11/1号)読みました。

特集がズバリ表紙の「美しい言葉」。白地に墨痕鮮やかな毛筆で、奇をてらわない正統派な草書体です。
これは店頭でもひじょうに目を引きました。
いい字だな(偉そうですね、すみません。ただ、自分が見て好ましい字、という意味です)、だれが書いたんだろう。
 「揮毫:石飛博光」
なるほど、サッポロビールのラベルやNHKなどで大活躍されているかたなのですね。

話は逸れますが、短大時代、書道の先生に、文字を「かたち」として捉えることを教えられました。
お手本は、文字そのものではなく「余白」もしっかり見なさい。「黒」と「白」の「さかいめ」が肝心なのだ、と。
半紙に定規で線を引くことから始まった、小筆しか使わない「臨書」に、それまでの「お習字」への認識が一変し、なかなか貴重な経験だったと思っています。

ところで、ブルータスはいつもわりとシンプルでストレートな表紙ですが、今回は究極と言ってもいいでしょう。
タイトルロゴが黒でなく、グリーンというのも、墨との重複を避け、赤では激しすぎ、青だと重くなりそうなところをさわやかにまとめた感じです。

特集の内容は、、、
私にはその存在意義がまだよくわからない「twitter」発のつぶやきから、涙なしには読めない辞世・哀悼の言葉集。ことばとしての歌詞。文豪の手紙。自由律俳句などなど。
古今東西、多彩な言葉の収集標本といった印象。
「使いたい美しい言葉集」というとじこみ付録に、読んだことのあるフレーズを見つけてうれしくなったり。
「どうかこの泥棒めに、盗まれてやって下さい」とか(わかる人には、わかりますね!)

なかでもわたしが面白いと思った、永原康史氏による日本語デザイン歴史論を紹介しましょう。(引用ではありません)

日本語デザインの歴史は世界でも独特です。
もともと文字をもたなかった日本語は、大陸の影響により、公式文書で採用された漢文と話し言葉の倭文の二刀流時代を経て、漢字とひらがなとが混在する表記へと発展してきました。
一文字独立の漢字と、続け書きが基本のひらがな。これを同時に成立させるために開発されたのが、ひらがな2文字や3文字をひとつの活字に連刻する「連綿体活字」です。

連綿体活字文化の頂点として挙げられているのが、桃山~江戸初期の富裕層の間で流行したという「謡」(うたい。カラオケみたいなものか)の歌詞本というのがまた面白い。しかも、今に伝わる豪華版の「嵯峨本」を作ったのは、「琳派の祖」と言われる本阿弥光悦ですって。

しかしこの後、木活字による漢字仮名交じり出版は一時期途絶えてしまいます。
なぜって江戸時代にぐんと上がった識字率。(たぶん寺子屋のおかげだと思いますが、)これによって印刷物の読者層は爆発的に広がり、出版が庶民向けの商売として成立するようになると、売れたものは当然、もっと刷ろうってことになりますね。
一度組んだ活字をばらして使いまわしてると、あれもう一度刷ってよって時に困るから、一枚の版木に完成した文章を彫る「整版」が主流になっていったのだそうです。

この整版化には、娯楽性が強まる中での幕府による風俗管理という面も、大きく関与していたらしいです。
へええ、ほおお。
そういえば版元と幕府のいたちごっこは、歌麿に関心を持った時にいろいろ読んだなぁ。
検閲して、版木ごとにお墨付きを与えるわけですね。活字組版だと、あとで改変できちゃう。

この後、明治に入るとひらがなが楷書化されて、現在のような、かなも一字分ずつの混合組版が出来上がったそうですが、永原氏は、千年にわたって日本語表現の基本であった連綿ひらがなの、活字文化への再登場の可能性も示唆しています。

こういうことを考えつくのも、歴史をちゃんと学ぶからこそであって、だから歴史は面白いなぁと思います。

興味深かった記事がもうひとつ。
橋本治氏の美文論です。

いまは簡単でわかりやすい文章が奨励されるけれど、そもそも美しい文章というものは、言葉を荘厳することにはじまるのであって、装飾は悪ではない。みんなが同じようなうすっぺらな文章を書くほうが気持ち悪い。というのが橋本さんの主張です。
「大使館での舞踏会をご近所のホームパーティーにしてしまったら、ドレスを着て行く場所がなくなる」という比喩が、橋本さんらしく、言い得て妙。
はじめから平明な文章を目指すのではなく、一度美文をマスターすることによって文章のコントロール能力が身につく、というわけです。

この記事には「橋本治と選ぶ美文家20人」というおまけがついていて、二葉亭四迷が「I love you」を「死んでもいいわ」と訳したエピソードなども。。。

うわぁ。また、読みたい本がどどんと増えてしまいました。

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プチ・ファーブルよ やすらかに、、、

日本のプチ・ファーブルと呼ばれる
画家の熊田千佳慕さん(98歳)が亡くなられたそうです。

図鑑のように精密でありながら、どこかふんわりと優しく、
ときに鋭く獲物を狙う昆虫たちを描きつづけて70有余年。

こちらのインタビュー記事が、生い立ちや経歴もわかるし、
なにより千佳慕さんのことばが生き生きしててとてもいいので、
興味のある方はぜひ。

ちなみにお兄さんは熊田精華という詩人です。

http://pingmag.jp/J/2008/11/06/kumada/

わたしが千佳慕さんを初めて知ったのは、2006年の夏。
どこでもらったのかは覚えていませんが、目黒区美術館での展覧会のチラシ。
「山名文夫と熊田精華展」と同時開催で、A3二つ折りのチラシです。
結局都合がつかなくてその展覧会には行けなかったのですが、
チラシはいまでもとってあります。
それくらい、きれいで、印象に残る絵だったのです。

http://www.mmat.jp/event/kumada/press.htm

その展覧会のサイトです。

(ちなみに、調べてみたらわたしはそのころ、世田谷美術館に
出掛けているので、そこでこのチラシを入手したのかもしれません)

このチラシを見てから、千佳慕さんがスローライフ系の雑誌で
たびたび特集されているのに気付くようになり、
そのたびに、生きているような虫や花たちにうっとりするのでした。

折しも12日から松屋銀座で白寿を記念した展覧会が開かれることを、
8月9日の朝日新聞日曜版に日野原重明さんが書いておらればかりです。
「1911年生まれで私と同い年。(中略)
ともに現役で仕事を続けられていることにご縁を感じます」と。

http://www.matsuya.com/ginza/topics/090824e_kumada2/index.html

わたしもこれにはぜひ、行きたい、行かねばと思っています。

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『アンのゆりかご』赤毛のアンの、日本の母!

『赤毛のアン』を読んだことがありますか?

子供向けの本、あるいはアニメで内容は知っていても、
この本が最初に日本語で出版された、村岡花子の訳で読んだという人は、
そう多くないかもしれませんね。
かくいう私もその一人ですが、我が家の本棚には
第1巻が昭和59年・69刷という新潮文庫のシリーズが揃っています。
母の蔵書です。
今回は、その母が絶賛した『アンのゆりかご』を紹介したいと思います。

明治、大正、昭和を生き抜いて、子供や若い女性のための良質な英文学を翻訳し、
私生活では幼い一人息子を病で喪う痛手を負いながらも、夫の大きな愛に支えられて
社会における女性の地位向上にも貢献した村岡花子の一代記。
赤毛のアンの愛読者ならずとも、特に女性にはぜひ読んで欲しい1冊です。

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『アンのゆりかご  村岡花子の生涯』村岡理恵・著 マガジンハウス

花子は生まれこそ貧しかったが、父親が理想に燃えるクリスチャンで、
長女の花子にだけは立派な教育を受けさせたいと、
ミッションスクールの寄宿舎へ編入させる。
環境と教育、そして人との出会い。これが花子の人生を決定づけた。

袖の膨らんだ、すその長いドレスの婦人宣教師に囲まれ、
上流階級のお嬢様たちとともに、言葉づかいから身だしなみ、
礼儀作法までみっちり仕込まれる日々が、
グリーンゲイブルスにやってきたばかりのアンに重なる。

生涯の親友となる柳原白蓮ともここで出会い、
彼女の手引きで佐佐木信綱に短歌を習うこととなる。

この本の面白さは、ひとり村岡花子の人生にとどまらず、
同時代を象徴する多くの女性たちの生き様の片鱗にも触れられる点にもある。

皇族にゆかりのある伯爵令嬢でありながら歌人として活躍し、
25歳も年上の炭鉱王の後添えに入って「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は
のちに若い社会主義者と駆け落ちし、新聞紙上で夫に絶縁状を発表する。

佐佐木信綱に紹介された片山廣子は花子を翻訳文学、児童文学の世界へと導いた。
鉱山事業や紡績会社の運営、さらに女子大の創立にも尽力した実業家・広岡浅子の
勉強会に誘われ、最先端の講義を聴く機会もあった。
花子と同い年でやがて婦人参政権獲得運動へと心血を注いでいく
市川房枝も、ともにこの勉強会に参加していたという。

思えば華々しい時代である。
どんなに頑張っても決められた枠からはみ出すことを許されない男性社会の中で、
男女平等を目指し、互いに練磨し、次の世代を育てていこうとする女性たちの
情熱が、文学界にも経済界にもみなぎっていたことが伝わってくる。

もちろん、花子の家庭のことも細やかに描写されている。
若き日の、実らなかった初恋。
聖書印刷で一代を築いた村岡家の跡取り・儆三との、複雑な事情を抱えた上での結婚。
関東大震災で印刷工場が潰れ、自分の稼ぎで夫を支えなければならなくなった時期。
愛息をわずか6歳で疫痢に奪われた悲しみ。

やがて日本が第二次大戦に参戦し、
外国人宣教師たちは帰国せざるを得なくなる。
絶望の中で、婦人宣教師が花子に託した1冊の本。それこそが、
のちに日本中の少女を虜にする『赤毛のアン』の原書
「アン・オブ・グリーン・ゲイブルス」だった。

英語が敵視される中でひそかに訳しつづけ、
度重なる空襲にあっても守り抜いた原稿は、
戦争が終わってなお、出版に至るまで7年を要した。

生活の基盤たる家庭に、理想と幸福の灯が絶えないことを願い、
おおきなひとつの仕事を成し遂げた女性の人生を、本書は丁寧に伝えてくれる。

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隠れ美術館・岩下記念館

「岩下の新生姜」って、ご存知ですか?
中村雅俊さんがCMに出演されてたので、
ちょっとは記憶にある方もいると思いますが、
岩下食品は栃木のお漬物会社です。

その岩下が栃木駅の近くに記念館を建てていることは、
地元の人でもあんまり知らないと思います。

毎日その前を通っていても気づかないとか、
あるのは知ってるけど入ったことないという人がほとんどでしょう。
「岩下記念館」だから、会社の歴史とかお漬物博物館的なものを
イメージされている人も多いのではないでしょうか。

会長が2003年に旭日中綬章をいただいた記念に建てたそうで、
2007年には増築し、美術コレクションの常設展示を公開するにいたったとのこと。
いずれにしろ、行ったことないというのはもったいない!
わたしも初めて行ってみて、びっくりしました。
もちろん、会社の歴史を展示したコーナーもありますが、
(これはこれでけっこう面白い、、、)
美術品のコレクションが膨大なのです。

内容はいささか玉石混交なところもあるかもしれません。
とはいえ濱田庄司がある、島岡達三がある、
バーナード・リーチも板谷波山も魯山人もある。
東郷青児あり前田青邸あり、速水御舟に小杉放庵、 横山大観まで。
もちろん地元ならではの琅カン(王偏に干)斎&小カン斎の竹工芸も。
松本哲夫に絹谷幸二なんてのもありましたね。。。
とにかくジャンルも年代も盛りだくさん。

これで入場料は300円(栃木市民なら150円、65歳以上は無料)と、
那須あたりの施設ミュージアムに比べたら格安です。
お近くの方、そうでない方も、ぜひ一度訪れてみてください。

〒328-0034
栃木県栃木市本町1-25
℡:0282-20-5533

開館:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜、年末年始
http://www.iwashita.co.jp/museum/index.html

なお、企画展は展示替えのためお休みになることもありますので、
お出かけの前には念のためお電話か、ホームページでチェックを。

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栃木の歌麿

栃木市内の「蔵の街美術館」で、待ちに待った歌麿の「女達磨図」が公開されています。

この「女達磨図」は、市内在住の女性が所有していたもので、一昨年、歌麿の真作と鑑定され話題を呼びました。
歌麿といえば浮世絵(版画)ですが、この「女達磨図」はめずらしい肉筆画なので、よく見る美人画のイメージとは全然タッチが違います。彩色も顔の白粉と被った衣の赤のみ。あまり大きくもないし、一見地味に思われるかもしれません。
しかし、歌麿研究史上これはとても重要な作品と位置付けられるかもしれないのです。。。

歌麿が活躍したのは、文化風俗が幕府の取り締まりとのいたちごっこに明け暮れていた時代でした。
寛政2年に大規模な禁令が出され、歌麿の豪華本は発禁となり、版元の蔦屋重三郎も処罰されます。
その後ほぼ1年間、歌麿は作品を全く発表できない状態を余儀なくされるのです。
しかし、そんなことで筆を折るようでは浮世絵師の名折れとばかり、寛政4年ごろからは、華美な衣装を描かずに上半身だけを描き、表情で魅せる「大首絵」を発表するようになります。
これが大ヒットとなり、「当時三美人」や「辰巳路考」などの名作が生まれるのです。

じつはその「空白の一年間」に、歌麿は栃木に滞在していたのではないかという説があるそうです。
栃木の豪商・善野伊兵衛の依頼によって「雪月花」とよばれる大幅の肉筆画三部作のいずれかを描いていたのではないか、というものです。

今回お目見えの「女達磨図」もこのころの作と思われ、それまでの浮世絵にはなかった女性の上半身のみという構図は、「大首絵」の最初期のものではないかと考えられているのだそうです。

北斎や広重にくらべて身分が低いことから出生なども明らかでなく、謎が魅力でもある歌麿。じつは栃木にゆかりの深い人物だということに、とてもわくわくさせられています。

また「雪月花・三部作」のうち、「月」と「花」はアメリカの、それぞれ別の美術館に所蔵されているそうですが、「雪」は昭和23年に銀座松坂屋で3日間展示されて以来、どこにあるか公にされていないのです。
NHKの取材班が、栃木に「雪」があるのではないかと調べに来て、「女達磨図」の発見につながったのだとか。
いつか「雪」も見てみたいものです。。。

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お屋敷と庭を眺める美術館

白金台の「東京都庭園美術館」へ行ってきました。月曜開館している貴重な美術館です。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/

ここは旧・朝香宮家の邸宅で、昭和8年に建てられたアール・デコの洋館。
正面玄関にはルネ・ラリックのガラス彫刻。大広間の天井にはこれまたラリックのシャンデリア。内装はアンリ・ラパンという、まさに建物そのものが美術品。
フランスの優美さと、ところどころにかわいらしい遊び心も見えて、女性の人気が圧倒的に高いというのもうなずけます。

さて、開催中の企画展は「建築の記憶-写真と建築の現代史-」ということで、はじめは記録のために撮られていた建築写真が、やがて写真家自身の視点を表現する、あるいは建築家の主張を代弁する手段としての表現にもなりうることを示して、とても興味深い展示でした。

ちなみに、日本ではじめての、(背景などでなく)記録としての建築写真は、
今年の大河ドラマで注目を浴びている鹿児島の「鶴丸城」なんだそうです。
「カロタイプ」とかいう古い手法だそうで、写真といっても、建物の形が
黒く紙に焼き付いているだけのような印象でしたが、これがあの進取の気性で知られた
島津斉彬公が撮らせた一枚かと思うと、感慨深いものがありました。
(わたしは鹿児島生まれ)
ちなみに斉彬公は被写体としても先駆者で、その写真は現在、
鹿児島の尚古集成館に収蔵されているそうです。

本格的なお城の写真は熊本城。
こちらになるとゼラチンを使ったいわゆる銀板写真で、
技術の進歩はめざましいものがあります。
時代が下ると、シカゴでデザインを学んだ石元泰博が、
モダン・デザインの視点から【桂離宮】を再発見したといわれる
写真など、興味は尽きません。

鑑賞中、にぎやかなご年配の女性グループがやってきまして、
「ここは何度も来てるけど、建物を見るんならなんにもやってないときのほうがいいわね」
とおっしゃってました。なるほど、展示のために壁はパネルで覆われているし、
窓からお庭を眺めることも出来ません。。。
今度は純粋に建物を観にこようと思いました。

白御影石と黒御影石を市松に敷いたモダンなベランダ、
タイルのモザイクがかわいいけど広くて寒そうな浴室。
そして、うちにも欲しい重厚な書庫。

でもなんといってもわたしが気に入ったのは、
階段を上ったところに下がっている
金平糖のようなステンドクラスのペンダントライト。
思わず「持って帰りたい、、、」と口走ってしまうほどのかわいらしさです。
犯罪者になる前に、売店のポストカードで満足しましょう。

それから、お庭に出てぐるっと一周。
広い芝生の洋風庭園と、茶室や鯉が泳ぐ池もある日本庭園。
今は梅が咲いていました。桜のあとはバラもきれいでしょう。
白いガーデンテーブルセットがいくつも置いてあり、
お弁当を食べるくらいはしてもいいようで、
素敵なピクニックができそうです。

こんな素敵な建物で日々を過ごされていたご一家、その暮らしぶりはどんなものだったのか。想像するのも楽しいですね。ぜひまた別の季節にも訪れてみたいと思います。

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春の「蔵美」

きょうは仕事が朝シフト(9:30~14:00)だったので、帰ってから母を誘って【蔵の街美術館】通称「くらび」に行ってきました。

現在開催中の「布が伝える和のこころ」展は、着物コレクター三瓶清子さんのコレクションから、女性や子供の晴れ着を中心に、なかなか見ごたえのある展示でした。

男の子の晴れ着には鯉の滝登りの図柄が多いことや、古い時代のものは、女の子の晴れ着でも黒など渋い色合いのものが多いことがわかります。また、長寿の人や元気な子供がたくさんいる家から少しずつ端布をもらい歩き、ひと針ひと針にわが子の成長を願って縫われたという「百徳」も、それは見事な手仕事の産物でした。

珍しいと思ったのは被衣(かつぎ)という着物。五条大橋の牛若丸を思い浮かべていただければ、、、あんなかんじで、頭からかぶるものですが、はじめはふつうの長着をかぶっていたのが、やがて専用に薄く軽く、襟ぐりの位置もぐっと下げて作られるようになったのですね。

わたしの印象に残っているのは沖縄の着物。「アーランチェ」と呼ばれるその生地は、「竜舌蘭」の繊維で織られているのではないかといわれているそうです。軽くて涼しそうですが、1枚で着るとシースルーな感じで、あでやかに舞うモノトーンの蝶が色っぽいかも知れません(笑)

他にも型染めの祝い風呂敷や、コレクションのサンプルのようなパッチワークの古袱紗など、興味深く見せてもらいました。

紡、染、織、繍、文様など、着物はじつに多彩な複合文化だということを、あらためて感じました。

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