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2013年12月28日 (土)

金さんの父が歩いた日光道

いま読んでいる下野新聞の新書『栃木文化への誘い』がやたらめったらおもしろいんだが、

途中で調べたいことがどんどん出てきて、はかどらないことこの上ない。

 

遠山金四郎といえば、桜吹雪の金さん。

「散らせるもんなら散らして見やがれぃ」

 

あれはテレビのためにおもしろくしたフィクション

 

だけど

遠山金四郎が実在した人物であるのは確かなことで、

江戸の町奉行になった金さんの、父親もまた、

「遠山金四郎」だったって、知ってた?

 

ここら辺がむかしの名前のややこしいところ。

実名(諱-いみな-)は辞令や戸籍などの書類にのみ記すもので、

普段は通称や役職名を使ってたわけ。

ふたりは、親子で同じ通称を名乗っていたんだね。

 

諱のほうは、お奉行さまが遠山景元-かげもと-

お父上は遠山景晋-かげくに または、かげみち-

 

この金四郎景晋さんが、非常に優秀な方だったんだという話で。

40代の頃、第2回昌平坂学問所の学問吟味で237名中トップの成績を収め、将軍様から時服を拝領---ってつまり、ごほうびというか、特別ボーナスみたいなもんか?

 

その優秀さを見込まれて、1799年、蝦夷地(北海道)出張を命じられる。

当時はロシアから交易を迫られたり、アイヌ民族との間に軋轢が起こったりして、幕府は対策を講じるための調査団を派遣する必要に迫られていたんだ。

3月半ばに江戸を発ち、戻ってきたのは半年後。その旅のことを書いたのが『未曾有記』。

これ、図書館で読めたりすんのかな。いや、あったとしても原文のまま読むのは無理っぽいな。

 

金さん一行は日光道中、奥州道中を下っていったんだ。小山から宇都宮へと歩いていく途中、屋根に大谷石を使った建物を見かけて驚いたとか、帰路には日光で社寺参拝や史跡見物もしていたとか知ると、なんか親近感湧くね。

 

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コメント

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ヒジョーに個人的ですが、「遠山の金さん」は思い出の強い名前です。
高校時代に好きだった人の苗字が遠山で、アダ名が金さんでした。
本人はそのアダ名を嫌がっていましたが、金さんと呼んでました。

新年早々、こんなどーでもいい話ですみません!

投稿: ギャラリー アール | 2014年1月 2日 (木) 00時15分

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