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2013年6月 8日 (土)

改正原戸籍というもの

父と二人暮らしになって1カ月経ちました。

各種手続きのために、九州の役場に依頼していた戸籍が、
重量オーバーのため料金不足という紙を貼られて届きました。

改正原戸籍というものですが、母の記載されているもの全て、という依頼をしたところ、
父と結婚した際の本籍地である佐賀の役場に1通。そして母の実家のあった鹿児島の役場には、なんと5通もあったのです。

母の父親が早世したため、一度祖父の戸籍に入るという手順を踏んでいることや、
昔の人たちは兄弟が多いですから、一通といっても兄弟全員が記載されていると何枚にもなるために、同封した返信用の切手では足りないという事態になったのでした。

生前、祖父母の兄弟やその上の世代について、断片的な話では聞いたことがありますが、こうしてずらりと並んだ戸籍を見ると、あらためて、「家」や「血族」というつながりを実感します。

日本どころか町の歴史にすら何の影響も及ぼしていない小さなちいさな流れ。
とはいえここにも厳然として時と人の連鎖が存在することや、自分がその末端にいることを思い知らされるのです。

母といっても血縁上は伯母にあたり、わたしとは養子縁組をしていました。
また、祖父と祖母は従兄に当たるなど、家系図も入り組んでいてややこしく、、
けっこう波乱万丈な身の上の人だったので、生きているうちにもっとちゃんと聞いておけばよかったなと、いまさらながら思います。

戦前に外地(朝鮮)で生まれて、女学校入学のために自分だけが帰国して寮に入ったそうです。
家族はそのまま終戦を迎え、警察官だった父親はソ連軍によって収容所に連れて行かれ、
強制労働の末に病死します。(遺骨はいまも彼の地に埋葬されたままです)
残された母親と弟たちは命からがら歩いて逃げて、わずかな現金は逃げる途中で助けてくれた人たちに渡したり、
船に乗る手続きの際に役人に渡したりで、着の身着のまま一文無しで引揚げ船に乗ったとか。

戦争を乗り越えた世代には珍しくない話なのかもしれませんが、
ニュースで残留孤児の話題が出るたびに、他人事ではないと言っていたことが思い出されます。

そしてひとつだけ、母が直接わたしには語らなかった過去が、明らかになりました。
わかったところでいまとなっては何が変わるわけでもないのですが、
母に別の人生があったのかもしれない、それによって自分という存在も
全く違ったものになっていたのかもしれないという、不思議な感覚です。

さて、取り寄せた書類を抱えて、またあちこち手続きに歩かなくては。

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