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2009年10月 7日 (水)

続橋先生

思いがけないところで短大の恩師に再会した。
といっても相手は故人であり、ネット上でお名前を発見したにすぎないのだが。
「文学散歩」というキーワードでうろついていて見つけた下記の記事である。

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http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/sanpo/SanpoYORI01.html

宮沢賢治の本郷の散歩ガイドを書くにあたって、持っている資料を引っ張り出してみていたら、以下のような一文が載っていた。

 「農学校時代教論時代の創作とみられる『茨海小学校』のなかに、〈幼年画報にゐたたけしといふ人〉とある。『幼年画報』(1906~1936、博文館)に〈画家のたけしさん〉が〈狐小学校のスケッチ〉をかいていたかどうか、未調査である。だが、このたけしさんは、絵雑誌「コドモノクニ」(1922.1~1944.3)にかかわりの深い武井武雄のことをふまえているとおもわれる。……」(「賢治童話と先行文学」続橋達雄、『国文学 解釈と鑑賞』昭和59年11月号より)

 宮沢賢治と武井武雄の間にそんな接点があったなんて……。しかし、大正児童文学研究に明るい続橋先生がそうおっしゃっているのである。
また、1923(大正12)年1月に弟・清六を訪ねた賢治がトランクに詰めた童話の原稿を婦人画報と『コドモノクニ』を発行している東京社へ持参するように言った、と『校本全集』に記されていることも、賢治が武井武雄の絵に心魅かれて注目していたということの裏付けになるのではないかと、続橋氏は指摘していた。
 続橋氏はこの記事を書いた後もこの件を調べておられたようだが、平成8年11月号の『国文学 解釈と鑑賞』の記事「茨海小学校」では、幼年画報に狐小学校のようなスケッチがあったかどうか「今のわたしには不明」で、狐の名前に〈武田〉〈武村〉と「武」の字が使われているため〈たけしさん〉は『注文の多い料理店』の装幀挿画をした菊地武雄あるいは武井武雄を連想させる、というだけにとどまっている。

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この、続橋氏というのが、わが恩師。
いつもニコニコ優しげな笑顔の、いかにも児童文学者らしい人物だった。

宮沢賢治の研究が専門で、わたしが履修していた講義でも、先生みずからそのおっとりした口調で、ときにユーモラスに、じつに表情豊かに「読み聞かせ」をしてくださるので、学生たちはまるで絵本を読んでもらっている子供のように、いつの間にかすやすやと眠ってしまうのだ。それはほんとうに心地よい時間で、わたしは先生の講義が大好きだった。

先生が顧問を務める文芸部の学生(わたしもその一人)が、部誌の編集にかこつけて研究室までおしかけても、面倒がらずに寄稿までしてくださった。
そのときいただいた原稿は、花巻の賢治記念館を訪れた折のことを書かれたもので、印刷屋さんから戻ってきたあと、記念にとわたしがいただき、いまでも大事にとってある。

このサイトは「銀貨社」という児童文学の版元が運営しているらしい。
≪大正児童文学研究に明るい続橋先生≫などという看板は、学生当時は気にも留めなかった。田舎の大学の先生が、その道ではひとかどの人物だったのだと、いまさら気付く。
「おはなし」の間に挟まれていたはずの逸話や考察は、はずかしながらまったく覚えていない。
なにかその片鱗でも残っていないかと、当時のテキストを引っ張り出してみたが、
書き込まれているのは日付と傍線、そして、誤植を見つけて得意げに入れた赤字くらいのものだった。

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