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2009年8月

2009年8月28日 (金)

お出かけは‘ついで’が楽しい! (その二)

銀座へ出てきたらいつか寄ろうと思いつつ、場所が分からず。。。
ホームページから手書きの地図をプリントアウトして、やっと辿りついたのは想像していたより広々とした路地。銀座の真ん中にぽっかり空いた空間に「ボールペン」と書かれた赤い万年筆型の看板がすっくと立っていた。

『ボールペンと鉛筆のこと』宇井野京子(木楽舎)には、著者の筆記具愛を織り込みながら、この店を立ち上げる経緯、オープンにこぎつけるまでと、開店後の悲喜こもごもが綴られている。
「好き」を仕事にする情熱と、それを保ち続ける難しさ、支えてくれる人々との出会いを通して、自分で店を持つって素敵だな、と思わせてくれた本だった。

この本について→ http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/3218301/s

重い扉を押しあけて入ると、こぢんまりした、だれかの勉強部屋のような店内には、筆記具・文房具への愛情と創意工夫がぎっしり。

こんな小さな店なのに、宇井野さんのほかにレジスタッフがいたのは驚いたが、お店以外のさまざまな活動もあり、忙しいのだろう。宇井野さんが店にいたのは、ラッキーだったのかもしれない。

小さなツバメノート(ナイト・アンド・デイ・ディンプル)用の革製ケースだとか、ハラコ皮のペンケースだとか、いろんなプロダクトの限定カラー商品があり、文具好きでなくとも手が伸びそうなおしゃれなものも取りそろえている。

探していた太い鉛筆用の鉛筆削りを尋ねると、宇井野さんがすぐに、赤、紺、黄色の3点を出して見せてくれて、わたしは黄色を選んだ。
他に、五十音オリジナルの定規鉛筆と、レトロなコーリンのポエム鉛筆、三角鉛筆にきれいな配色の色糸を巻いてあるものを購入。

世界一小さなノートとそれにぴったりな革製ケースのセットはまた次回のお楽しみということにして、重い重い扉を開け、五十音を後にした。

五十音のページはこちら→ http://www.gojuon.com/

世界一小さなノートと専用ケースはこちら→ http://thinkingpower.jp/nadd.html

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2009年8月25日 (火)

お出かけは‘ついで’が楽しい!(その一)

「カフェ・ムルソー」

東京へ出るとなると、あれもこれもと欲張ってしまう田舎者の性で、
「ついで」をいっぱい計画してしまう。

先日、銀座へ出るのに北千住で乗り換えず浅草まで行き、最近読んだ雑誌で目に留めた「隅田川を眺めながらランチやケーキが楽しめるカフェ」を探して歩くことにした。
思いのほか早く見つかったそこは「カフェ・ムルソー」という、石の天板にアイアンの脚のテーブルや籐椅子など、コロニアルな雰囲気のお店。(店名からして、イメージは南仏だろう)  広くはないけれど、眺望はなかなかの開放感。

キッシュランチを頼むとまずレタスのサラダと、ドレッシングかと思うほど小さなカップで出てきたのはスープ。
キッシュはワンプレートに、トマト、ゆでキャベツとゆでブロッコリとゆで卵のマヨネーズ添え、そしてほうれん草のパンまで一緒に乗っかって。
このパンが、シフォンみたいにふんわりで、周りはクロワッサンのようにサクサク。キッシュはベーコンとアスパラがゴロゴロ入ってておなかいっぱい。
あとからコーヒーと、ひとくちクッキーが2個、コロンと小皿で置かれた。
リンゴ型のシュガーポットがかわいくて、スケッチしてみた。
ミルクピッチャーがスープカップよりも数倍大きくて笑えた。
ここはケーキが売りらしいので、今度はケーキ食べに来ようっと。

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2009年8月23日 (日)

深泥丘への招待

『深泥丘奇談』本編のご紹介でございます。。。

ちっ、ちちち。
擬音渦巻く冒頭から、不気味さは走り出している。
耳障りな音と、居心地の悪い不穏な空気感に満ちた作品である。
主人公の推理小説家は、激しいめまいに襲われてその病院の門をくぐる。
その名もおどろおどろしい「深泥丘(みどろがおか)病院」である。

ウグイス色の眼帯をした医師や左手首に包帯を巻いた看護婦。
いちいち不気味な環境設定は、ホラーというより敢えて漢字で恐怖小説。
ちょっと京極堂のパロディみたいなところもあって笑えるが、そこはサービス精神か。

病室の壁に顔が浮き出て見えるとか、地元の者なら誰もが知っていることを自分だけが知らない(忘れている?)とか、
ちょっと疲れがたまっていたり、眠れない夜が続いた時なら、そんなことも起こるかもしれないと思ってしまい、ついつい引き込まれる。

次第に、いくらなんでもそれはない、と思うようなことまで起きてしまうのだが、、、
現実なのか、主人公の幻覚なのか、一人称なのでそれも読み手には判断しかねる。
殺人が起こっても、これはミステリではないので、犯人はあっさりと割れ、謎解きのカタルシスはない。
ほんとうに怖いのは人殺しではなく、背後にうごめく伝承や魔性。そしてそれを信じる人々の心。

最後まで読んでもなんにも解決しない。恐怖は終わっていない。
続編は、あるのか?

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千佳慕さんの絵、観てきました

21日金曜、松座松屋はかなりの盛況ぶり。
受付手前で財布をまさぐっていると、少し年上と思しきお姉さんに声をかけられ、「
これからチケットを買われるのですか?もしよかったら、招待券が余っていて、もったいないので使ってください」とおっしゃるではありませんか!
たまーに、あるんですよね、こういうラッキー。お言葉に甘えて、頂いた招待券で入
場。浮いた1000円は有意義に還元させていただきますと、心の中で。。

会場は6つの部屋に分かれ、それぞれ「昆虫」「植物」「動物」「絵本」「ファンタジー」「制作の小部屋」というテーマで作品がまとめられていました。

子供連れも多かったのですが、展示位置が大人基準です。しゃがんで確認しましたが、照明が反射して見づらかった。。。
絵本原画コーナーだけでもラインを下げてあげたらよかったのに。
べたべた触られても困るからかしら。

それにしても原画の迫力はすごい。
「見るだけではダメなんです、見て、見つめて、最後に見極める」
まさしく、見極めようとする意志が画面に溢れています。
千佳慕さんはずっとメガネはかけなかったそうです。
98歳の肉眼でここまで描けるとは、驚異的な視力です。
なんといっても虫の絵が壮観ですが、花や絵本、動物たちの絵もみんな、命をいつく
しむまなざしが感じられます。

「絵本」部屋の原画たちは、初期のものはサインが「go.」となっています。本名の「五郎」を使っていたんですね。後には「KUMA.」や「KUMA CHIKA.」をつかうようになっています。

個人的には「ファンタジー」部屋の、妖精が飛びまわる作品群の、なごめる雰囲気が好き。お花の洋服や帽子を身につけ、トンボの羽を持つこの妖精ちゃんを、ひそかに「千佳坊」と呼ぶことにしました。
馬の頭に乗っかって、たてがみをつかんで立っているリスもかわいい。ちゃんと耳の
出る麦わら帽をかぶってるんですよ♪

最後にはNHKが制作したインタヴュー映像も紹介され、デッサン帳や使っていた道具などの展示もありました。竹のペン立てに、なぜかメリーチョコレートのラベルが貼ってあったのが印象に残りました。いただきもののチョコを一粒、またひと粒と口に入れながら、じっくりと絵に向かっていたんでしょうか、それとも、根を詰めて描いては、一息入れるときに甘いものをつまむのを楽しみにしていたのでしょうか。。。

物販コーナーも、ウィリアム・モリス展並みに繁盛してました。
ポストカードや複製画はもちろん、絵本などのほか、文具やTシャツ、バッグなどの
グッズ。そして昆虫採集キットやきれいな蝶の標本まで。
どさくさにまぎれて、見覚えはあるけど明らかに千佳慕さんではない丸い複輪のオー
ルドローズの精密画が、、、なんと、ルドゥーテのグッズまで並べてあるではありませんか。
そこはそれ、ここはデパートゆえ、商魂のたくましさには脱帽するしかありません。

とはいえ、自費出版に近い形で’95年に出され、いまや書店流通では入手不可能な『野の小さな花たち』が置いてあったり、(←買っちまった)
画業以前の分野(商業デザイン)の仕事も垣間見ることができておもしろかったです

というのが、、、自伝的随筆「千佳慕の横浜ハイカラ青年記」などの隣に、なぜか『土門拳の「早稲田1937」写真集』がおいてあり、
いくら「日本工房」勤務時代の同僚だからって、なんでここで土門さんの写真集を売
る!?と思いきや、
なんとそれは、日本工房に入社したばかりの土門氏に、1年先輩の千佳慕さんが写真
の構図からアドバイスをし、撮影にも同行し、表紙には千佳慕さんの撮影した土門拳の横顔スナップが使われているもので、
いわば千佳慕さんの総合プロデュース作品と言っても過言ではないというではありま
せんか!(こういう制作逸話に弱いのよね)

日本工房といえば、ドイツ帰りの写真家・名取洋之助が設立した伝説の制作集団で、
山名文夫、原弘、熊田五郎(のちの千佳慕)、亀倉雄策らのデザイナーと、木村伊兵
衛、土門拳、藤本四八らの写真家が集い、1934年に海外向け宣伝誌『NIPPON』を創刊したことで知られています。 
ちなみにわたしは2006年に足利美術館で開催された「名取洋之助と日本工房」展の
チラシ持ってます。もっと探せば確か『NIPPON』復刊のチラシもあったはず。。。

ところでその、早稲田の卒業アルバムにはいまのところあまり興味はわきませんが、日本工房の仕事には以前から興味があったこともあり、巻末に寄せている千佳慕さんの文章は味読したい。
それだけのために3360円は高いのか、どうか。思案中。これだったらうちの店でも
注文できるし。
けっきょく『野の小さな花たち』のほか、ポストカード数枚と来年のカレンダーを買
いました。入場券分、あっという間に消化。

数え年の白寿記念で、オープンしてすぐにご本人が亡くなられるという衝撃的なニュースが飛び込んできた展覧会ですが、なかなか素敵な構成で、子供たちもたくさん来て、興味津津、大人たちに質問をぶつけているの様子が見られたので、よかったです
ライフワークのファーブル昆虫記、6巻目に取りかかっていたというのが心残りでは
ありますが、千佳慕さんも、この展覧会の成功は、喜んでいるんじゃないでしょうか

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2009年8月21日 (金)

そうていがい

『深泥丘奇談』 綾辻行人・著 (メディアファクトリー)

装丁買いで積読状態だった本を、やっと読み終えました。。

純粋なる綾辻ファンの皆様、ごめんなさい。
まずは、本の中身の感想ではなく、装丁について。

凝った装丁の本をチェックするとよく目にする「祖父江慎+コズフィッシュ」と言う名前が気になっていて、
もうだいぶ前ですけど、そのドキュメンタリ(情熱大陸?)を、見てしまったのです。
番組の中で祖父江氏が取り組んでいたのが、この本でした。

どこから湧いてくるのか常識にとらわれない発想の企画は、印刷屋と製本屋を困惑させ、その限界に挑戦する試みでもありました。

文章だけで伝えるのは難しいのですが、、、
ひとことで言えば「表紙が裏返し」。

通常、上製本(いわゆるハードカバー)は、(製本の手順は正しくないです、悪しからず)表紙の図案を印刷した紙の裏側に、表表紙・背表紙・裏表紙の芯となる厚紙を絶妙の間隔(開いたり閉じたりする時に、関節となる部分)をあけて並べ、貼りつけます。
表紙の紙は本の出来上がりサイズよりも大きく裁断してあり、周囲は折りしろ(のりしろ)として厚紙をくるんでいます。

ひとつながりの表紙が出来上がった状態から、本文の束の厚みの部分を背表紙と接着させ、本文の最初のページ(扉)と表表紙の内側、同じく最後のページと裏表紙の内側を、それぞれ「見返し」と呼ばれる紙に貼りあわせます。
表紙の折りしろと厚紙の境目は、見返しの紙できれいにふさがれます。
これにはたいがい、本文の紙とは違う色や質感、パターン模様やストーリーにちなんだ図柄の紙がつかわれ、装丁家にとっては凝りどころだと思われます。

ところで、綾辻作品としては新境地だというこの恐怖小説を読んだ祖父江氏は、「逆さま」や「あべこべ」というキーワードを感じ取ったそうで、装丁にあたり、表紙をあべこべにくっつけよう、と思いついたそうなのです。

見返しで覆ってしまうハードカバーの表紙の芯。
その厚紙をおもて側にして製本してほしいと製本会社に掛け合いますが、、、
担当者さんも現場の職工さんも、当初は当然、難色を示します。
けれども、できませんとは言いたくない。
技術者のプライドがそうさせるのでしょうか。現場では試行錯誤が繰り返されます。

ほかにも、表側になった厚紙むきだしの表紙にのせるタイトルと著者の文字を、活字にインクをつけずにプレスするとか、挿絵の色や配置にも独創的なアイデアを繰り出す祖父江さん。
まあなんて現場泣かせのプロデューサーなんでしょう。
そしてこういうときにこそ、日本が世界に誇る職人魂は燃え上がるようです。

ドキュメンタリはそこまで。
この本がどんなふうに出来上がるのか。
祖父江さんと印刷・製本技術者の戦いの結末やいかに。
という気の持たせ方で終わりました。

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

さて、その後・・・
楽しみに待っていた割には、いつ入荷したか気付かなかったのは、
上製本の常として、表紙の上にカバーが掛けられた状態ではじめて商品として完成するというお約束がありまして。
件の綾辻さんの新刊も、クリーム色のマットな質感の表紙で、墨彩画のような林の中をイタチか何かが横切っている図という、ぱっと見「渋い」感じの仕上がりだったのです。

番組を見て、さぞや奇想天外な本が出来上がるのだろうと先入観いっぱいのわたしの目は、完全に眩まされていました。

一週間ほどたってから、棚整理中にふと、帯の「奇才 綾辻行人」という文字が目に入り、「あれっ、もしかしてこれがあの時の、問題作!?」

帯と一緒にそっとカバーをめくると、あらわれたのは打ちっぱなしのコンクリートのような灰色の厚紙。
そこへ鑿で彫りつけたような「深泥丘奇談 みどろがおかきだん 綾辻行人 あやつじゆきと」というタイトルと著者名、ふりがなのちいさな「ど」や「だ」の濁点までくっきり見てとれる活版プレス文字。
背表紙以外の三方を縁取る墨絵模様の折りしろ。
荒涼とした表紙をひらくと、見返しは明るい白地の見開きで、老松が枝を広げ、その下にはかわいらしい鹿の親子が、鮮やかな緑の草を食んでいます。

お見事。やってくれました、さすがですね。
見返しをめくって、扉にも、目次にも、書けばきりがないほど凝りに凝った装丁ですが、
これがこうして世に出ることができたのも、印刷屋さんの技術と心意気があったればこそ。
やれやれ、よかった。

もちろん初版をすぐに買い求めましたが、装丁の完成を喜ぶあまりそこで満足してしまい、ついうっかりと読むきっかけを失っておりました。綾辻さん、本当にごめんなさい。

奥付を見ると2008年2月29日の発行ですから(この日付にもこだわりを感じます)、実際読み始めたのは一年以上たってからですね。

さあ、装丁の話はこれまで。次回は物語の感想です!

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2009年8月14日 (金)

プチ・ファーブルよ やすらかに、、、

日本のプチ・ファーブルと呼ばれる
画家の熊田千佳慕さん(98歳)が亡くなられたそうです。

図鑑のように精密でありながら、どこかふんわりと優しく、
ときに鋭く獲物を狙う昆虫たちを描きつづけて70有余年。

こちらのインタビュー記事が、生い立ちや経歴もわかるし、
なにより千佳慕さんのことばが生き生きしててとてもいいので、
興味のある方はぜひ。

ちなみにお兄さんは熊田精華という詩人です。

http://pingmag.jp/J/2008/11/06/kumada/

わたしが千佳慕さんを初めて知ったのは、2006年の夏。
どこでもらったのかは覚えていませんが、目黒区美術館での展覧会のチラシ。
「山名文夫と熊田精華展」と同時開催で、A3二つ折りのチラシです。
結局都合がつかなくてその展覧会には行けなかったのですが、
チラシはいまでもとってあります。
それくらい、きれいで、印象に残る絵だったのです。

http://www.mmat.jp/event/kumada/press.htm

その展覧会のサイトです。

(ちなみに、調べてみたらわたしはそのころ、世田谷美術館に
出掛けているので、そこでこのチラシを入手したのかもしれません)

このチラシを見てから、千佳慕さんがスローライフ系の雑誌で
たびたび特集されているのに気付くようになり、
そのたびに、生きているような虫や花たちにうっとりするのでした。

折しも12日から松屋銀座で白寿を記念した展覧会が開かれることを、
8月9日の朝日新聞日曜版に日野原重明さんが書いておらればかりです。
「1911年生まれで私と同い年。(中略)
ともに現役で仕事を続けられていることにご縁を感じます」と。

http://www.matsuya.com/ginza/topics/090824e_kumada2/index.html

わたしもこれにはぜひ、行きたい、行かねばと思っています。

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2009年8月12日 (水)

あなたなら何年賭けますか?

豪華な装丁の分厚い本、

定額給付金で買った「諸国物語」の感想文第一弾です。

「賭け」  作:チェーホフ

◆あらすじ◆
豪勢な夜会の席で、死刑と終身刑を巡る論議から発展した、
羽振りのいい銀行家と若き法学青年との賭け。

瞬時の苦しみで終わる死刑よりも、
長い時間をかけて少しずつ殺される終身刑のほうが残酷だ
と言う銀行家に対し、青年は15年間の自由をかけて、
死刑より生きているほうがましだと主張したのだ。
銀行家の庭の片隅の小屋で、最初の一年はピアノを弾くなどして
気を紛らわしていた青年だが、やがて書物三昧の日々を送るようになる。

いっぽう大金をかけた銀行家は15年の間に零落し、
掛け金を払うのが惜しくなった。
そこで、どうやら幽閉生活を乗り切ってしまいそうなそうな青年を
消してしまおうと考えた。

明日が約束の15年目という晩、小屋に忍び込んだ銀行家が見たものは。。。

*感想*
作家というのはじつに、想像力の豊かな人種なのだなあ。
15年間閉じこもっていたら、人はどんなふうになるか、
ちょっと考えも及ばない世界である。
作者はこれを書くために、実際閉じこもってみたのだろうか、
せめて15日間くらいは。
そんな疑問がまず浮かんだ。

結末は、なんとなく想像できた。
きっかけが死刑との対比であるから、もっとも悲惨な展開を予想していた。
死刑と終身刑、どちらが残酷か。
結論は読者にゆだねられるが、ただ生きている(生かされている)ことと、
社会生活を営むということは全く別の次元なのだということはわかった。

でも一生のあいだに、ひとつきくらい、だれとも会わずに閉じこもって、
本ばかり読んで生活してみるのも悪くないかもしれない。
その後の世界が、ぐんと広がって見えそうだ。

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