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2009年2月23日 (月)

栃木の歌麿

栃木市内の「蔵の街美術館」で、待ちに待った歌麿の「女達磨図」が公開されています。

この「女達磨図」は、市内在住の女性が所有していたもので、一昨年、歌麿の真作と鑑定され話題を呼びました。
歌麿といえば浮世絵(版画)ですが、この「女達磨図」はめずらしい肉筆画なので、よく見る美人画のイメージとは全然タッチが違います。彩色も顔の白粉と被った衣の赤のみ。あまり大きくもないし、一見地味に思われるかもしれません。
しかし、歌麿研究史上これはとても重要な作品と位置付けられるかもしれないのです。。。

歌麿が活躍したのは、文化風俗が幕府の取り締まりとのいたちごっこに明け暮れていた時代でした。
寛政2年に大規模な禁令が出され、歌麿の豪華本は発禁となり、版元の蔦屋重三郎も処罰されます。
その後ほぼ1年間、歌麿は作品を全く発表できない状態を余儀なくされるのです。
しかし、そんなことで筆を折るようでは浮世絵師の名折れとばかり、寛政4年ごろからは、華美な衣装を描かずに上半身だけを描き、表情で魅せる「大首絵」を発表するようになります。
これが大ヒットとなり、「当時三美人」や「辰巳路考」などの名作が生まれるのです。

じつはその「空白の一年間」に、歌麿は栃木に滞在していたのではないかという説があるそうです。
栃木の豪商・善野伊兵衛の依頼によって「雪月花」とよばれる大幅の肉筆画三部作のいずれかを描いていたのではないか、というものです。

今回お目見えの「女達磨図」もこのころの作と思われ、それまでの浮世絵にはなかった女性の上半身のみという構図は、「大首絵」の最初期のものではないかと考えられているのだそうです。

北斎や広重にくらべて身分が低いことから出生なども明らかでなく、謎が魅力でもある歌麿。じつは栃木にゆかりの深い人物だということに、とてもわくわくさせられています。

また「雪月花・三部作」のうち、「月」と「花」はアメリカの、それぞれ別の美術館に所蔵されているそうですが、「雪」は昭和23年に銀座松坂屋で3日間展示されて以来、どこにあるか公にされていないのです。
NHKの取材班が、栃木に「雪」があるのではないかと調べに来て、「女達磨図」の発見につながったのだとか。
いつか「雪」も見てみたいものです。。。

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